手に職のない人が里山に移住してみた!vol.2

地方に移住って、何か手に職を持っていないと仕事がないのでは…?について考えてみるコラムです。

昔の仕事のあり方って?(1つの会社、1つの仕事じゃない?)

暮らしナビゲーターの神戸市在住の鶴巻です。
前回のvol.1はこちら
今回はvol.2として、仕事のあり方について考えてみたいと思います。仕事柄大学生とも関わることが多く、まさに今彼らは就職活動に向かっている時期で、彼らの「こうあらねばならない」という呪縛を目の当たりにする機会も多かったりします。

都会で見えた景色

僕は前回記載の通り、東京で生まれ育ちました。父親も東京のサラリーマンとして、家族4人を何不自由なく養ってくれました。
高校生になると、日本でもトップクラスの乗客数を誇る鮨詰め状態の地下鉄などを3本乗り継いで高校まで通っていました。

(なんだかガラが悪いですね)

こういう場所で生きていたり、テレビを見ていると、仕事とは、
1、どこか1か所の会社や組織に所属するもの
2、会社や組織とは、大人数が所属しているもの
3、CMに出てくるような有名な会社の方がよい
4、年中同じペースで働くもの
5、常に大ダメージを負っているもの(吊革を持ちながらの『立ち寝』という特殊能力はすごい)
といったイメージがありました。

その後、大学に進学し色んな大人に会い影響を受けたりしつつも自分事としては捉えられず、就職活動もオーソドックスにやり、上記1~4を見事網羅する企業で働かせてもらうことなりました。

(学生時代にアジアの貧困地域の住居建設のワークキャンプなどに行きましたが、職の選択肢を変えるまでは至りませんでした)

社会人になって芽生えた関心

新社会人のスタートは、宮城県で始まりました。
僕はその地で様々な人や地域に出会い、インスパイアされ今の暮らしがあるのですが、どうやら仕事というものには色んな手段があるらしいということに気づき始めました。
例えば山形のさくらんぼ農家さんは、収穫の時期に鬼のように忙しくなり一気に稼ぎ、後の時期は比較的緩やかだという話を聞いたり、山奥の渋い古民家のお蕎麦屋さんは、週に数日しか営業しておらず、その営業時間も5時間ほどというものだったり。そして当然ながら誰もスーツを着ていない。

(宮城県の山奥にあるお蕎麦屋さんは本当に美味でした)

そしてその後リーマンショックや震災からの原発事故など価値観を大きく揺さぶられることもあり、今の社会の在り方って本当にこのままでいいのだろうかと当時20代の若造の私でさえも突き付けられるような出来事が起きました。

そんな中、仕事のこと、社会のことについての本を読み漁る中で、栃木で非電化工房という取り組みをしている藤村靖之さんの著書に、こんな一説がありました。

一つの文明が繁栄している時には必ず分業化が進みます。繁栄している時というのは、価値観も社会システムも文化も定まっています。身分や収入も安定しています。つまり変化は必要ありません。変化がない時には、なるべく細かく分業して励みます。その方が楽だし、効率が良いからです。逆に、文明の転換期にはいつも複業化します。文明の転換期と言われる今、複業化は時代の必然かもしれません。
藤村靖之『月3万円ビジネス』(晶文社)より抜粋

こういう言葉に出会いながら、自分なりに仕事を捉えていくことが始まりました。

あるおじいさんに教えてもらったこと

2014年に神戸の農村地域に移り住み、幸いにも少しずつ仕事を分け与えてもらったり作ってみたりしながら、
「1つに所属しない」
という試行錯誤を始めてみることにしました。

(こんなところにいたと思えば)

(都市部でこんなこともしています。)

そんな中で、地域で実際に活動してみると色々と気付くことがありました。
そもそも昔の仕事を(妄想で)考えてみると、年中同じペースで同じことができる仕事というのはほとんどなかったのではないでしょうか。雪が降り積もる地域の農家さんであれば、冬に畑に出ることはできません。前述のさくらんぼ農家さんしかり。

上記写真のように、1つの仕事で茅葺き屋根修復の現場で働いているのですが(神戸市には700~800棟の茅葺き屋根が現存しています!)、ある時、茅葺き屋根の材料であるススキを引き取りにある老夫婦の家に行きました。その際、おじいさんはかつて茅葺き、左官、大工などもやっていたとのこと。もちろん畑もやっているので、家のちょっとした修繕や口に入るものは、ほとんど自分たちで賄ってしまいます。こうやって仕事を通じて自らの手にスキルを身に付け、人間としての生き抜く力を(無意識ながら)育てていたのではないでしょうか。
社会システム云々の前に、こういう働き方がそもそもあったはずなのではないかと気づかされました。

どこかに移住するに際しても、
「正社員で雇ってくれる会社がない!」
という声もよく聞きますが(神戸はいっぱいありますよ笑)、そもそもそういう働き方だけを目指すのではなくて、
「生きていくための仕事を様々な手段で確保する」
というイメージで枠を広げると、色んな選択肢が見えてくるのではないかと思っています。

特にこの「島&都市デュアル」のテーマにも繋がりますが、例えば芦屋や神戸で都会的な仕事を3日ほどして、あとの2日は淡路島の自然に寄り添った仕事をするみたいなやり方が比較的実現しやすいエリアではないかと思っています。

実際に神戸や里山で生活していて思うことは、大っぴらに求人は出していなくても、
「いい人いたら週1~2くらい働いてくれる人おらんかな。おらんよな…。」
「畑の繁忙期のこの時期だけは、日当渡しで何日か手伝ってくれる人おらんか…。」
という話は結構あります。
そうやって色んな場所で働いて、その間に自分で少しずつ仕事を作っていくようなことができると、人の繋がりも広がりますし、自分のスキルや考え方も広がっていくかもしれません。

一方で、そういう生き方をするとぶち当たる壁があります。
「そんな働き方してたら絶対収入少なくない?」

それはお金という尺度で考えればおそらく真実です。でもイコール不幸という方程式にはなりません。
次回は、「そもそも生活に必要なお金っていくら?」と題して、超個人的見解を書き綴りたいと思います。

この暮らし体験のナビゲーターについて

鶴巻耕介

2014年に神戸の農村地域に移り住み、コミュニティを耕すの意を込めて「つるまき農園」という屋号で活動中。 百の知恵と技を持つ現代版お百姓さんになりたい。

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